「呉市及び江田島市の紹介」当社がある呉市及び近隣地区である江田島市を一挙紹介! あっと解消 本店
大和のふるさと「呉」 周辺観光施設 ピックアップ
呉市プロモーションビデオ大和ミュージアム (地図で見る)
館内1階の大和ひろばでは、呉で建造された巨大戦艦「大和」を10分の1スケールで忠実再現にて展示。大型資料展示室の零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などは、すべて本物。
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「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介しています。
戦艦大和(大和ミュージアム1F 大和ひろば)
呉市は、戦前において戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄えました。
大和ミュージアムには10分の1スケールの戦艦大和が展示してあり、年間の来館者数は100万人を誇ります。
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実物大の戦艦大和の前甲板をイメージして作られた公園です。
目の前をフェリーや海上自衛隊の艦船などが行き交います。また、大和を生み出した建造ドッグに加え、造船所に立ち並ぶクレーンの数々。現在も建造が進む大型の船舶等を眺めることが出来ます。
2014年7月1日、恋人の聖地に認定されました。
日本で初めて、実物の巨大潜水艦を陸上展示する博物館「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」は、「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などに
関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介する史料館です。
陸揚げされた実物の巨大潜水艦に乗艦することもでき、艦内には、艦長室や士官室などの艦内生活の一部が再現され、潜水中の環境や生活を疑似体験できるほか、潜望鏡など、潜水艦の構造を実際に「見て」、「触って」、「体感する」貴重な体験ができる史料館です。
海上自衛隊呉地方総監部庁舎は明治40年、帝国海軍呉鎮守府庁舎として落成以来、海軍、海上自衛隊のみならず、呉のシンボルとして大東亜戦争をはじめ幾多の歴史の荒波に耐えました。
ゆるやかな赤レンガ敷きの並木道に、著名な作家による17点の彫刻が点在する、道行く人の心を癒やす美術館通り。
「呉市立美術館」の開館に併せ、美術館へのアプローチとして、1981(昭和56)年に整備され、散策・憩いの場所として親しまれています。
「美術館通り」という名称は、1987(昭和62)年に市民から広く公募し、決定したもので、同年には、「手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)」と「日本の道100選」にも選ばれています。
館内の旧呉鎮守府(ちんじゅふ)司令長官官舎は、1905(明治38)年の建築当時の資料が見つかったことを受け、当時の姿に復原したもので、1998(平成10)年12月に、国の重要文化財に指定されています。
この建物は木造平屋建で、東側の洋館部と西側の和館部からなり、洋館部は外観に英国風のハーフティンバー様式を取り入れ、屋根は天然スレートの魚鱗葺きです。
また、玄関ドアの上側と左右にはイギリス製のステンドグラスがはめ込まれ、壁や天井には、全国でも珍しい金唐(きんから)紙が張られています。
テレビドラマ「坂の上の雲」のロケ地になったことでも有名です。
旧呉海軍工廠塔の時計は、大正10年(1921年)に旧呉海軍工廠造機部の屋上に設置され、昭和20年(1945年)の終戦まで時を刻んでいたもので、昭和46年(1971年)に入船山記念館内に移設されました。
1981(昭和56)年には呉市有形文化財に指定されています。現在動いている国産の電動親子式衝動時計としては最初のもので、1日4回流れるメロディーは市内の小中学生が作曲したものです。
呉を代表するレンガの歩道で、読売新聞が募集・選定をした、新・日本の街路樹100景にも選ばれました。
門の役目を果たす出会いの広場、水の広場、集いの広場、芸術の広場、こもれび広場、花の広場と、レンガの歩道等からなっています。
例年12月〜1月にかけては、イルミネーションで木々がライトアップされています。
毎年展示内容は変更されており、呉に縁のある戦艦大和・空母赤城・戦闘機紫電改・平清盛などがライトアップされたりなど、注目のイルミネーションスポットです。
蔵本通りの屋台
全国でも珍しい電気と上下水道が整備されている屋台通り。
1987(昭和62)年、蔵本通りの整備に併せて、 それまでバラバラに出ていた屋台を1ケ所に集め、 赤ちょうちん通りが誕生しました。
旧海軍墓地は1890年、戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設、1986年に国から市に無償で譲与され「長迫公園」として整備されました。
この墓地には戦前に建立された墓碑が169基、「戦艦大和戦死者之碑」等78基の合祀(ごうし)碑が建立されています。
軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成しました。
この丘からは、「旧呉鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)」や呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。
呉市昭和町のアレイからすこじま(旧呉海軍工廠本部前)、日本で唯一、現役の潜水艦を間近に見ることが出来る公園です。周囲は旧海軍工廠のレンガ建造物が並ぶレトロな雰囲気。軍港時代に使われていた魚雷揚げおろしクレーンが、現在もモニュメントとして設置されています。
日曜日の艦艇一般公開
海上自衛隊呉基地(Fバース)で、護衛艦艦内を公開しています。
艦によっては写真撮影もできます。また、潜水艦も間近に停泊していることもあり、こちらでも記念撮影ができます。
※潜水艦の一般公開は行っていません。
※見学には事前予約が必要になります。
詳しくは、海上自衛隊呉地方隊のページをご覧ください。
海上自衛隊基地のある町、呉市の湾内に浮かぶ護衛艦は、昼間の威容とは対照的に、夜にはキラキラ光るイルミネーションをまとい優雅に美しく変身します。
音戸の瀬戸開削800年を記念して1967(昭和42)年7月に建てられた、平清盛の立烏帽子直垂姿の銅像。
音戸の瀬戸を一日で切り開いたといわれる平清盛公の功績を称え、供養のために清盛塚を建立したといわれています。
音戸の瀬戸公園平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説のある名勝地。
3月下旬から4月上旬には約2、300本の桜、4月下旬から5月初旬には約8,300本の紅白のツツジが咲き乱れ、真紅の「音戸大橋」とマッチした素晴らしい景観が楽しめます。
幅90mの音戸の瀬戸に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1,000トン級船舶の航行を可能とするため螺旋(らせん)式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、総工費3億6,200万円をかけて1961(昭和36)年12月に完成しました。また、2013年3月27日に、第2音戸大橋が開通しています。
音戸の瀬戸を一日で切り開いたといわれる平清盛公は、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈め、難工事を遂げさせました。
1184(元暦元)年にその功績を称え、供養のための清盛塚が建立されたといわれています。
1951(昭和26)年には県史跡に指定された、周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、供養のために立てられた石碑があります。
音戸大橋の交通量の増大と慢性的な交通渋滞に対応するため、第二音戸大橋(通称:警固屋音戸バイパス)の建設が決定。1998年に工事が開始されました。
2011年4月24日には支間長280mのアーチ(橋長は492m)が巨大なクレーン船により海上から架設されました。
開通を控えた2013年3月24日には「ひまねきウォーキング」イベントが開催され、約3万人が参加し、橋の上が人でうめつくされました。
そして、2013年3月27日に、めでたく開通しました。
ひとつの瀬戸に二つの橋が架かる、日本でも珍しい景観です。
呉みなと祭
呉市の春を彩る恒例の大イベント。
国際色豊かな料理や掘り出し物いっぱいのバザー、魅力満載のステージ、総勢約3,000人の大パレード。
さまざまな花車や海上自衛隊呉音楽隊、くらはし遣唐使行列、消防団によるはしご乗りの行列、パワフルでエネルギッシュなよっしゃこい踊りなどが繰り広げられます。
吉浦カニ祭り
吉浦八幡神社の祭礼を「カニ祭り」と呼ぶようになったのは、 吉浦の浜で、祭りの時期に1年でもっとも多く力二がとれたためといわれています。祭りは、10月第1土・日・月曜日に、夜祭、本祭、後日祭と3日間行われ、見物に帰省する人も多いそうです。
何十人もが稚児4人を担ぎ上げ、「ちょうさいだ、ちょうさいだ」と、大きなかけ声とともにお宮の石段を上下左右と練り歩く「だんじり」は迫力満点です。
阿賀のお漕船(こぎぶね)
1701(元禄14)年旧暦6月17日、暴風が起こって宮島管弦祭の御座船が遭難しかけたころ、たまたま九州からの帰途にあった江波の漁民と阿賀の漁民が協力して救助し、幸いに事なきを得た縁により、両村は毎年御座船を引いて奉仕することになり、これを漕船と呼ぶようになりました。それ依頼、「阿賀のお漕船」は毎年、管弦祭で主役を務めています。1973(昭和48)年には市の無形文化財に指定されました。
呉水産祭り
冬の風物詩、旬の牡蠣を中心に瀬戸内の海の幸を堪能できる食のイベントです。
呉の夏を彩る風物詩となっている一大イベント。
海上自衛隊基地のある呉湾で護衛艦をバックに海上から花火が打ち上げられます。
海上に打ち上げられる大輪の花火をぜひ、お楽しみ下さい。
標高737メートルの灰ヶ峰から呉市街地を広く見渡すことができます。
日本三大夜景の函館山より2倍以上の高さがあり、その夜景はまるで天上から眺めているようです。
2021年1月19日、新たに完成した灰ヶ峰気象レーダー観測所にドームが設置され、山頂のシンボルが一時的に新旧二重に並びました。
石貼りの美しい外観を持ち、高い施工精度を持つ堰堤を中心に、丸井戸、第一量水井などの関連施設で構成されています。これらは、旧海軍土木技術の枠であるとともに、鋳鉄製配管、仕切弁などに至るまで当初の姿が残り、なおかつ現役施設として呉市水道の基幹をなしている点でも価値が高いものです。
平成11年5月13日に国重要文化財に指定されました。
旧海軍が用水不足に対処するために、二河川の本流をさえぎって堰堤(ダム)を設け貯水池を築造したもので、大正7年(1918年)に完成しました。 当時は東洋一といわれる規模の貯水池で、大正7年(1918年)4月1日には市民給水も開始されました。
※現在稼働中の水道施設のため、普段は見学できませんが、桜の開花時期には一般開放されます。
幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)
通称「赤レンガ」と呼ばれ、全国的に有名な幹部候補生学校庁舎は、日清戦争の前年、1893(明治26)年に海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため建築されました。
設計は、東京築地にあった兵学校生徒館も手がけたイギリス人建築家によるものです。
屋根は建築当初は日本瓦葺でしたが、明治38年の安芸灘地震後にスレート葺とされました。
大講堂
同敷地内には、瀬戸内海産の花崗岩を使った鉄骨煉瓦石造の大講堂が90年以上経った今日も、変わらぬ姿で建っています。
約2,000名の収容能力があり、現在は幹部候補生、第1術科学校の学生等の入校式、卒業式等儀式に使用されています。
教育参考館
また、ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の教育参考館には、勝海舟や海軍将校の書、佐久間勉大尉や特攻隊員の遺書など、数多くの歴史的資料が保管・展示されており、年間7万人の見学者が訪れます。
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日本の白砂青松100選、日本の渚百選に選定されているビーチ。
透明度の高いきれいな青い海、白い砂浜、岸辺の緑の松林のコントラストが美しく、万葉集にも詠まれたほど古くから知られる景勝地。
桂浜を望む海岸に、1992(平成4)年に開館した「長門の造船歴史館」には、古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料などが数多く展示されています。
中でも、館の中央には、1989(平成元)年に、1200年以上前の姿に復元された遣唐使船が展示され、船内を見学することができます。
瀬戸内海国立公園の四季折々の景色を堪能できる標高839mの山。
山頂を訪れた方が気軽に立ち寄って休憩したり、他の来訪者と交流を深められるよう、さまざまな設備が用意されています。
野呂高原ロッジでは、新鮮な食材を生かした料理、さらに野呂山で獲れた猪のぼたん鍋が評判。また、特製焼き立てパンも大人気です。
和洋様々なタイプの部屋・浴場・会議室・大広間などあり、家族やグループでの宿泊・休憩・企業研修としても利用頂けます。
野呂山のキャンプ場は、広島県で最大規模のキャンプ場で、5人用常設テントを80基備え、炊事棟やファイヤー場、売店を完備。オートキャンプ場には21のテントサイト、テーブル、イス、AC電源を備えており、バーベキュー台(炭付)や飯ごう・鍋などキャンプ用品のレンタルも充実しています。
本州と安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ安芸灘諸島連絡架橋の1つ。
サイクリングに訪れる人も多く、瀬戸内海の多島美を味わうことができます。
館名は下蒲刈に多く自生していた春蘭に由来する、松並木に囲まれた総ヒノキ造りの美術館。
横山大観や福田平八郎・須田國太郎など日本を代表する作家の作品をはじめ、海や松など瀬戸内海の美を描いたものなどを収蔵展示しています。
松濤園は、三之瀬瀬戸の急潮を借景に、松を主樹としたみどり豊かな落ち着きと潤いのある庭園です。
下蒲刈町は、古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきました。
御馳走一番館(朝鮮通信使資料館)
江戸時代、朝鮮通信使の来日に際し、下蒲刈島が藩の接待所・玄関口として大歓迎した記録が多く残されています。なかでも「安芸蒲刈御馳走一番」といわれたほどの歓待ぶりで、往時の記録をもとに当時の豪華な料理を忠実に復元した展示は圧巻です。
また、通信使の行列人形を配したジオラマ模型や、当時の通信使を再現した人形、全国から集められた朝鮮通信使に関する資料などが多数展示され、興味深く見学することができます。
海水浴をはじめいろいろなマリンスポーツが楽しめ、テニスコートや多目的グランドも整備された一大健康保養地・県民の浜。
「日本の渚・百選」に選ばれたロ マンビーチ県民の浜・恋ヶ浜に,宿泊施設『輝きの館』、天文台、体育館、プール、テニスコート、温泉施設『やすらぎの館』などたくさんの施設があります。
平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。
御手洗地区は17世紀の中頃形成されて以来、江戸時代の約200年間を経て昭和初期に至るまで、瀬戸内海交通の中継港として、時代時代に応じた発展を示し、その痕跡を今も集落内に留めています。
御手洗地区を見下ろせる高台に設けられた公園。
御手洗や来島海峡、四国の山々が一望できるほか、みかん畑の間を通る遊歩道からは 四季折々の風情が楽しめます。
安芸灘の島々には、7つの橋が架かっており、安芸灘大橋をスタート地点とした片道約50kmのサイクリングコースは高低差が少なく初心者にも優しいコースです。
交通量が少なく信号もほとんど無いので非常に快適なサイクリングが楽しめます。
道中には、7つの大橋の他にも、松濤園、御手洗の町並み、県民の浜などを始め、見所が数多くあります。
また、下蒲刈島の「海駅 三之関」や、上蒲刈島の「県民の浜」など数カ所で自転車のレンタルが利用できるほか、簡単な修理、工具の貸し出しなどのサービスが受けられます。
参照元:呉市ホームページ、Wikipedia他
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